「季節をたのしむ文化」を持つ国、四季のある日本ならではの食べ物に、
「和菓子」があります。
和菓子を通じてわたしたちは、目と舌で季節を感じることができます。
最近、肌寒い中にも晴れた日には、春の兆しを感じますよね。
わたしはコンビニのレジ横に「桜餅」が置いてあるのを見かけて、ひとつ手に取りました。
きょうは春を代表する和菓子、桜餅の歴史をご紹介します。
お餅を葉っぱで包むって、ちょっと考えたら、すごいアイデアだと思いませんか?
桜餅の前に桜あり!桜が日本全国に広まった理由?
現在、桜の花は日本を代表するイメージが定着しているように思います。
その印象が決められたのは平安時代。
「国風文化」と呼ばれるファッションが流行したころです。
国風文化とは、それまで中国の文化をマネすることがオシャレだった日本においてはじめて、「自分たちだけのファッションを見つけるほうが本当のオシャレだよね」という考え方が生まれた、その流行を指します。
桜の花は、その時代の象徴、日本を代表するシンボルのようなものだったのかもしれません。
現代のわたしたちは全国津々浦々でお花見をするようになっています。
しかし、桜が日本中の至るところで見られるようになったのは江戸時代になってからだそうです。
「桜並木」という言葉もありますが、江戸時代に桜が並べて植えられたのは、お花見会場をつくるため、ではありませんでした。
江戸時代の日本の、
2つの大きな社会のしくみが、
日本中にサクラという植物を広めたんです。
その一つ目は「鎖国」
江戸時代の日本は鎖国をしていたため、日本人の食べ物は全部、日本国内で作らなくてはなりませんでした。
いまではスーパーに世界中から野菜や果物が集まっています。
しかし、江戸時代の人が食べていた野菜や果物は全部日本産です。
そこで、もっとおいしい野菜、もっと甘い果物をつくりたい! という欲求が、日本人に生まれました。
そしてふたつめは「貨幣経済の発達」
江戸時代においては「貨幣経済の発達」がありました。
つまり、自給自足と物々交換を基本にしていた人々が本格的に「お金」を使うようになりました。
お金を使うようになると、お金をたくさん儲けたい!という気持ちになります。
そして、お金を儲けるためにはやっぱり、おいしい野菜と甘い果物、つまりは「よい商品」が必要になりました。
こうして江戸時代の日本では、農業の技術がどんどん進歩していきます。
そして、これに「桜並木」が関係していたのです。
河川の氾濫を防ぐ桜
売り物にする野菜や果物、見た目がキレイで味も良い「商品作物」、をたくさん生むには、「水」が必要でした。
そこで全国各地で水路の整備工事がたくさん行われたのが江戸時代です。
大雨の時に水路が氾濫するようなことがあっては困りますから、頑丈な堤防をつくる必要がありました。
その強い堤防の材料として、立派に力強く根を張る桜の木が選ばれ、全国に広まったのです!
桜餅以外で「桜の葉っぱ」を気にしたことありますか?
桜の木は根っこを利用するために植えられて、そして春のお花見はみんなを楽しませるものになった。
それでも、現代のわたしたちも、お花見の季節以外に桜の木を気にする人って、あまりいないのではないでしょうか。
わたしも、春になったらいつの間にか満開の桜の木があちらこちらで見られる。
そんな意識しかありませんでした。
当然、サクラも植物ですから、一年間の成長のサイクルのなかで、毎年春に花を咲かせているはずです。
四季のある日本、季節をたのしむ日本人は秋になると、桜の木ではなく、「紅葉狩り」で植物をたのしむ文化を持っています。
そう、秋に注目されるのは、赤や黄の色づきが美しいカエデやモミジ。
けれど、サクラという植物だって、秋になったら同じように、地味に葉っぱを落としていることには、あまり注目が集まりません。
言ってみれば、桜の葉っぱはただのゴミ!
ところがそこに目を付けたのが、江戸は隅田川沿い、長命寺の門番、山本新六でした。
「桜を植えて堤防が頑丈になったのはいいけど、この落ち葉、掃除するオレの身にもなってくれよ」、とでも言ったのでしょうか?
「桜の落ち葉を集めて、花が咲くころまで塩漬けにして、お花見の季節にお餅を包んだら、ただのゴミだって季節感のある素敵な和菓子の材料になるに違いない!」
これが享保2年(1717年)、「桜餅」誕生の瞬間でした。
道明寺と長命寺の違い
ところで、桜餅には関東と関西では違いがあることをご存知ですか?
実は桜餅には2つの種類あり、関東と関西では全くの別物なのです。
その2種類とは、道明寺と長命寺です。
元祖は先ほどお話しした長命寺。
小麦粉などの生地を焼いた皮をであんこを巻き、それを桜の葉でくるんだもの。
関東で桜餅と言えば、長命寺を指します。
それに対して関西の桜餅は道明寺。
なぜ道明寺と呼ばれるかと言えば、道明寺粉を使っているからです。
もち米を蒸して乾燥させ、粗びきしたものを道明寺粉といいます。
その道明寺粉で作ったお餅を桜の葉で巻いたものを関西では桜餅といいます。
道明寺粉は武士の保存食
道明寺粉は、戦国時代に大阪の道明寺というお寺で作っていた保存食「ほしいい(糒、干飯)」が元になっているようです。
お寺の道明寺では、神前に供えたもち米で「ほしいい」を作っていました。
そして、長期保存できることから武士の携帯食として用いられるようになり、水やお湯でふやかすなどして食べられていたようです。
つまり一般的には、
「道明寺」とは、関西風・上方風の桜餅
「長命寺」とは、関東風・江戸風の桜餅
そして元祖は、長命寺
ということになります。
まとめ
こうして「桜餅の歴史」を紐解いてみると、山本新六という人のアイデア、ひらめきの鋭さに驚きます。
ゴミを資源にリサイクルする発想!
ゴミ掃除という面倒を立派な財産に換えた!
ピンチをチャンスに転換した山本新六には元気づけられる!
いろんなことを思いました。
また、関東と関西では桜餅に違いがあることは、意外に知らない人も多いのではないでしょうか?
道明寺と長命寺
桜餅の名前が、お寺に由来していることも驚きですよね。
みなさんも桜餅を食べる時に、こんな歴史のおはなしを、ちょっと思い出しつつ、春を味わってみてくださいね!
コメント